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第1巻 第10章 出費について考える
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通常の年において、こういった売買にともなう損失がどれくらいの額にのぼるのかについては、同じ売買に悩んでいる人に特別陪審となってもらって決めさせよう。──金額はさておいて、例の誠実な大人(たいじん)は、長年のあいだ不平をひとことも漏らさずに耐えていたんだ。だが、ああいった馬の病気があとを絶たないもんで、ついに、奴は損失について考える必要を認めるようになった。で、この件の全体を考慮に入れて、頭んなかで合計してみると、他の出費と比べてつりあいが取れていないばかりか、ひとつの経費細目としては、それだけでかなりの金額だし、教区内で他の善行を施そうとしても無理じゃないかと悟ったんだ。しかも、こんな具合で懐から全力疾走しちまうおカネの半分があれば、今の10倍は善行ができる────他のすべての熟考をひとまとめにしたものよりさらに重く、彼の心にのしかかったのは、自分の善意の出力先が、たったひとつの経路に限られちまっていることだ。そして、教区内で最も需要が少ないと彼が想像した事柄、はっきり言っちまえば妊婦が子供を産むことと産婆がそれを取り上げること、それだけに限定されてしまい、労働能力のない者に対しては何もしてやれねえ、──年寄りに対してもだ、──訪問しようという意欲を度々かきたてられちまうような、貧困と病気と苦悩が共存する安らぎのない数多くの情景に対して、何も残しておくことができねえんだ。
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原文:http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/i.40-59.html
自:What the loss in such a balance might amount to
至:where poverty, and sickness, and affliction dwelt together.
ひとつの善行のために、他の善行を犠牲にしなければならないというディレンマについて。慈善団体ならひとつの分野に絞ったほうが効率的でしょうが、牧師の場合はそうもいかない。
「こんな具合で懐から全力疾走しちまう」(thus galloped away)、ギャロップは馬の走りかたの一種。なので、「懐の直線コースを通り抜けちまう」「第4コーナーを駆け抜けちまう」「スタートダッシュからラストスパートまで一気に逃げ去っちまう」等、いろいろと訳を考えてはみたが、実を言うとあまりピンと来るものがなかった。朱牟田氏の訳は「トットと飛び去ってゆく」。
「労働能力のない者」(the impotent)、ここでは、性的不能の意味は(ほとんど)含まないと思われる。いちおう検討してはみましたが。
「訪問しようという意欲を度々かきたてられちまうような」(he was hourly called forth to visit)、"call forth"で「~を生じさせる、~を引き出す」という意味で、俺は「意欲」という目的語を補いました。
(前ブログでの投稿日時 06/28/2006 04:03:12)
通常の年において、こういった売買にともなう損失がどれくらいの額にのぼるのかについては、同じ売買に悩んでいる人に特別陪審となってもらって決めさせよう。──金額はさておいて、例の誠実な大人(たいじん)は、長年のあいだ不平をひとことも漏らさずに耐えていたんだ。だが、ああいった馬の病気があとを絶たないもんで、ついに、奴は損失について考える必要を認めるようになった。で、この件の全体を考慮に入れて、頭んなかで合計してみると、他の出費と比べてつりあいが取れていないばかりか、ひとつの経費細目としては、それだけでかなりの金額だし、教区内で他の善行を施そうとしても無理じゃないかと悟ったんだ。しかも、こんな具合で懐から全力疾走しちまうおカネの半分があれば、今の10倍は善行ができる────他のすべての熟考をひとまとめにしたものよりさらに重く、彼の心にのしかかったのは、自分の善意の出力先が、たったひとつの経路に限られちまっていることだ。そして、教区内で最も需要が少ないと彼が想像した事柄、はっきり言っちまえば妊婦が子供を産むことと産婆がそれを取り上げること、それだけに限定されてしまい、労働能力のない者に対しては何もしてやれねえ、──年寄りに対してもだ、──訪問しようという意欲を度々かきたてられちまうような、貧困と病気と苦悩が共存する安らぎのない数多くの情景に対して、何も残しておくことができねえんだ。
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原文:http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/i.40-59.html
自:What the loss in such a balance might amount to
至:where poverty, and sickness, and affliction dwelt together.
ひとつの善行のために、他の善行を犠牲にしなければならないというディレンマについて。慈善団体ならひとつの分野に絞ったほうが効率的でしょうが、牧師の場合はそうもいかない。
「こんな具合で懐から全力疾走しちまう」(thus galloped away)、ギャロップは馬の走りかたの一種。なので、「懐の直線コースを通り抜けちまう」「第4コーナーを駆け抜けちまう」「スタートダッシュからラストスパートまで一気に逃げ去っちまう」等、いろいろと訳を考えてはみたが、実を言うとあまりピンと来るものがなかった。朱牟田氏の訳は「トットと飛び去ってゆく」。
「労働能力のない者」(the impotent)、ここでは、性的不能の意味は(ほとんど)含まないと思われる。いちおう検討してはみましたが。
「訪問しようという意欲を度々かきたてられちまうような」(he was hourly called forth to visit)、"call forth"で「~を生じさせる、~を引き出す」という意味で、俺は「意欲」という目的語を補いました。
(前ブログでの投稿日時 06/28/2006 04:03:12)
第1巻 第10章 牧師が口外しなかった事実
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しかし、事実は以下の通りだった。この大将が、その牧師としての経歴を歩みだした最初の年、そして彼が豪華な鞍と馬勒を買った頃には、これは彼なりの礼儀なのかそれとも虚栄心なのか、まあ何とでも好きに呼んでくれよ、────正反対の、極端な方向へ突っ走ってたんだ。牧師が住んでいた州で言われていたことだが、彼はいい馬は大好きだったし、たいてい、教区内でも最高の馬のうちの一頭を馬小屋のなかに置いて、いつでも鞍を乗せられるようにしてあったということだ。で、前にも言ったように、いちばん近い産婆は村から7マイル以上離れたところに住んでいて、そこに行くにはひどい道を通っていくわけだが、────この気の毒な御仁のもとには、彼の家畜を貸してくれないかっていう同情を誘う申し込みがひっきりなしに寄せられて、ほぼ確実に、一週間に少なくとも一度は、馬を他人に貸すはめになっちまったんだ。まあ奴も親切な野郎だったし、どんな場合でも以前のケースより切迫して心を痛める有様とくれば、──馬を大事にしたくても、申込を拒絶することなんてできるわけがなかった。で、とどのつまり、奴の馬はガタガタになっちまうか、飛節内腫にかかるか、水疵病を患っちまうか──あるいは、骨が軋むようになっちまうか、肺気腫になっちまうか、そういった類の疾患を背負って戻ってくるわけだ。──そのために、奴は9ヶ月か、10ヶ月ごとに駄馬を処分して、──その代わりの駿馬を購入する仕儀に相成り申す、ってなことになっちまうんだ。
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原文:http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/i.40-59.html
自:But the truth of the story was as follows
至:-- and a good horse to purchase in his stead.
牧師がなぜ、みすぼらしい馬に乗るようになったのかという理由の説明が、ここから始まります。
「ガタガタになっちまう」(clapp'd)、正確な意味が分からなかった。歩くたびに関節がポキポキいうとか、そういう状態か? 朱牟田氏の訳は「脚を腫らしている」。なお、"clap"には俗語で「淋病」という意味があるが、何回も悪路を通っていったときに、馬の身体に起こる変化について語られているので、ここでは妥当でないでしょう。
「骨が軋むようになっちまう」(twitter-bon'd)、直訳すると「骨がさえずるようになって」。俺はとりあえず「軋む」としたが、朱牟田氏は「蹄に突起を生じる」としている。
(前ブログでの投稿日時 06/18/2006 02:37:00)
しかし、事実は以下の通りだった。この大将が、その牧師としての経歴を歩みだした最初の年、そして彼が豪華な鞍と馬勒を買った頃には、これは彼なりの礼儀なのかそれとも虚栄心なのか、まあ何とでも好きに呼んでくれよ、────正反対の、極端な方向へ突っ走ってたんだ。牧師が住んでいた州で言われていたことだが、彼はいい馬は大好きだったし、たいてい、教区内でも最高の馬のうちの一頭を馬小屋のなかに置いて、いつでも鞍を乗せられるようにしてあったということだ。で、前にも言ったように、いちばん近い産婆は村から7マイル以上離れたところに住んでいて、そこに行くにはひどい道を通っていくわけだが、────この気の毒な御仁のもとには、彼の家畜を貸してくれないかっていう同情を誘う申し込みがひっきりなしに寄せられて、ほぼ確実に、一週間に少なくとも一度は、馬を他人に貸すはめになっちまったんだ。まあ奴も親切な野郎だったし、どんな場合でも以前のケースより切迫して心を痛める有様とくれば、──馬を大事にしたくても、申込を拒絶することなんてできるわけがなかった。で、とどのつまり、奴の馬はガタガタになっちまうか、飛節内腫にかかるか、水疵病を患っちまうか──あるいは、骨が軋むようになっちまうか、肺気腫になっちまうか、そういった類の疾患を背負って戻ってくるわけだ。──そのために、奴は9ヶ月か、10ヶ月ごとに駄馬を処分して、──その代わりの駿馬を購入する仕儀に相成り申す、ってなことになっちまうんだ。
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原文:http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/i.40-59.html
自:But the truth of the story was as follows
至:-- and a good horse to purchase in his stead.
牧師がなぜ、みすぼらしい馬に乗るようになったのかという理由の説明が、ここから始まります。
「ガタガタになっちまう」(clapp'd)、正確な意味が分からなかった。歩くたびに関節がポキポキいうとか、そういう状態か? 朱牟田氏の訳は「脚を腫らしている」。なお、"clap"には俗語で「淋病」という意味があるが、何回も悪路を通っていったときに、馬の身体に起こる変化について語られているので、ここでは妥当でないでしょう。
「骨が軋むようになっちまう」(twitter-bon'd)、直訳すると「骨がさえずるようになって」。俺はとりあえず「軋む」としたが、朱牟田氏は「蹄に突起を生じる」としている。
(前ブログでの投稿日時 06/18/2006 02:37:00)
第1巻 第10章 ユーモラスな理由の一例
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彼はいろいろなときに、従順な気性で肺気腫病みの駄馬(まあ、威勢のいい馬よりはマシなんだけどね)に乗ることについて、50個ものユーモラスな、そして相反する理由を作ったものだ。──こういう馬に乗っていると、その「馬に乗っかってる」ってことを意識しないですむから、しゃれこうべを自分の前に置いているときのように、"de vanitate mundi et fuga saculi"(世の無常さと、時の経つ速さ)を念頭に置きつつ快く瞑想にふけることができる──で、他のどんな鍛錬に関しても、ゆっくり馬に乗っていきながら、時間を使うことが出来る──馬上に在るってのは、書斎にいるのと同じく重要なことなんだ──教会で行う説教について、どこでどんな風に根拠づけしたらいいかを練ることもできるわけだし、ズボンの穴を縫うのだって、書斎でと同じく馬上でもしっかりやれる──活発に走り回るのと、ゆっくりとした論証は、ウィットと判断力のように、両立できない活動なんだ。──さはさりながら、この馬に乗っていると──なんでも結合したり、調和したりできるのさ──説教にオチをつけることもできるし、──咳を落ち着かせることだってできる──自然の欲求ってやつが生じれば──眠りに落ちることもできる。──つまり、例の牧師がそんな質問者と相対(あいたい)するときには、どんな理由だってでっち上げただろうってことだ。だが本当の理由は、──それについては口外しなかったんだ。これは、まあ奴の気質の上品さから出た行動に過ぎないんだけど、自分を褒めるようなことは言いたくなかったからなのさ。
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原文:http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/i.40-59.html
自:At different times he would give
至:because he thought it did honour to him.
他人に対して言う、偽の理由のひとつです。
「その『馬に乗っかってる』ってことを意識しないですむ」(he could sit mechanically)、朱牟田氏の訳は「まったく馬まかせでいられるから」。
「ウィット」(wit)、これは「機知」の意味でしょう。
「なんでも結合したり、調和したりできるのさ」(he could unite and reconcile every thing)、俺は普通に訳したが、朱牟田氏は「何であろうと三昧境に入ることができる」としている。
「説教にオチをつけることもできるし、──咳を落ち着かせることだってできる──自然の欲求ってやつが生じれば──眠りに落ちることもできる」(he could compose his sermon, -- he could compose his cough, ---- and, in case nature gave a call that way, he could likewise compose himself to sleep)、"compose"という動詞を、3通りの方法で使っている箇所。俺は「おち」で語呂合わせをしたわけだが、朱牟田氏は「したく」で統一している。知りたい方は岩波文庫版をご参照ください。
(前ブログでの投稿日時 06/13/2006 13:17:27)
彼はいろいろなときに、従順な気性で肺気腫病みの駄馬(まあ、威勢のいい馬よりはマシなんだけどね)に乗ることについて、50個ものユーモラスな、そして相反する理由を作ったものだ。──こういう馬に乗っていると、その「馬に乗っかってる」ってことを意識しないですむから、しゃれこうべを自分の前に置いているときのように、"de vanitate mundi et fuga saculi"(世の無常さと、時の経つ速さ)を念頭に置きつつ快く瞑想にふけることができる──で、他のどんな鍛錬に関しても、ゆっくり馬に乗っていきながら、時間を使うことが出来る──馬上に在るってのは、書斎にいるのと同じく重要なことなんだ──教会で行う説教について、どこでどんな風に根拠づけしたらいいかを練ることもできるわけだし、ズボンの穴を縫うのだって、書斎でと同じく馬上でもしっかりやれる──活発に走り回るのと、ゆっくりとした論証は、ウィットと判断力のように、両立できない活動なんだ。──さはさりながら、この馬に乗っていると──なんでも結合したり、調和したりできるのさ──説教にオチをつけることもできるし、──咳を落ち着かせることだってできる──自然の欲求ってやつが生じれば──眠りに落ちることもできる。──つまり、例の牧師がそんな質問者と相対(あいたい)するときには、どんな理由だってでっち上げただろうってことだ。だが本当の理由は、──それについては口外しなかったんだ。これは、まあ奴の気質の上品さから出た行動に過ぎないんだけど、自分を褒めるようなことは言いたくなかったからなのさ。
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原文:http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/i.40-59.html
自:At different times he would give
至:because he thought it did honour to him.
他人に対して言う、偽の理由のひとつです。
「その『馬に乗っかってる』ってことを意識しないですむ」(he could sit mechanically)、朱牟田氏の訳は「まったく馬まかせでいられるから」。
「ウィット」(wit)、これは「機知」の意味でしょう。
「なんでも結合したり、調和したりできるのさ」(he could unite and reconcile every thing)、俺は普通に訳したが、朱牟田氏は「何であろうと三昧境に入ることができる」としている。
「説教にオチをつけることもできるし、──咳を落ち着かせることだってできる──自然の欲求ってやつが生じれば──眠りに落ちることもできる」(he could compose his sermon, -- he could compose his cough, ---- and, in case nature gave a call that way, he could likewise compose himself to sleep)、"compose"という動詞を、3通りの方法で使っている箇所。俺は「おち」で語呂合わせをしたわけだが、朱牟田氏は「したく」で統一している。知りたい方は岩波文庫版をご参照ください。
(前ブログでの投稿日時 06/13/2006 13:17:27)
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